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石碑の言われとして以下の文章が記されている。
詩人であり、彫刻家として著名な高村光太郎は、妻千恵子の病に悩み、昭和九年5月より12月迄の約八か月間を、この地千葉県九十九里町真亀納屋の実妹斉藤せつ夫妻の寓居「田村別荘」に転地療養させ、毎週東京から必ず見舞ったという。光太郎の絶唱「千鳥と遊ぶ千恵子」「風に乗る千恵子」随筆九十九里浜の初夏に克明に描かれている。
(中略)
この建立に高村家と光太郎記念会から一切を任された詩人の草野心平は、千鳥と遊ぶ千恵子を砂丘に再現し、そこから九十九里浜が一望できるように碑を配置するという画期的な構成を試みたのがこの詩碑の特徴である。
(後略)