文明18年(1486年)に開山した、上総七里法華の名刹です
九十九里町指定文化財にもなっています
浄泰寺は、『上総国誌』に「教王山浄泰寺中本寺真亀村に在り、永正3年(1506年)丙寅4月開山日曜」とあり、上総七里法華中の名刹で、東金酒井氏より御朱印高4石、大猷院家光公より6石加増、合わせて10石の寺領を有し、「享保申年浄泰寺境内図」には九つの坊、寺内惣坪数14,400坪と記され、同図の山門は移築され現存する。本堂内陣の仏像は、延宝年間(1673~1680)中興の祖といわれる日霊上人が、講・契信者の者の積銭により造立したものである。また、境内東隅には「滋伯大徳の寿蔵碑」があり、碑文の選者は彦根藩主大老井伊掃部頭直弼といわれ、滋伯とは親交があり、互に将来を誓い合った間柄の故というが、原文は美しい擬古文で、書も達筆、流麗な連綿体は優美である。